真夜中の洗濯機

日々の記録

日に日に骨に近くなる

先日、スペースでしゃべっているときに何かの流れで中学時代の話になった。

世の中の中学校の窓ガラスはすべからく割れているものだと思っていたけど、どうやらそうでもないらしい。わたしが通っていた中学がすこぶる荒れていたという事実を、卒業してずいぶん経ってから実感することとなった。

スペースでは基本的に最近触れたカルチャーの話をしているけど、ふとした瞬間に身の上話になるのもまた楽しい。『おいしいごはんが食べられますように』は、特に人の身の上話を容赦なくズルズル引き出すような作品だ、と読んだあとだからこそ思う。

 

荒れていたのはまぁさておき、未だに覚えているのは名前も知らず顔もはじめて見た女テニの1つ上の先輩と駐輪場ですれ違ったとき「おい、挨拶しろよ」と理不尽にブチギレられたことだ。わたしは女テニ所属ではなかったのでひたすらにびっくりし、身をすくめながら黙ってその場を通り過ぎることしかできなかった。後ろから「無視してんじゃねえよ」という声が追いかけてきてさらに震え上がったのをいまでも覚えている。

いま同じことをされたとて小鳥のさえずり程度にしか思わないが、当時のわたしにとっては超ド級の大事件であった。田舎の中学の女テニ所属の人ってなんであんなに態度がデカいんですか?(ド偏見、元女テニ所属の方すみません)

昔よりは強くなったし、ずいぶん遠くにきたもんだ。いろんな人間にいろんなことを言われて、たまに言い返してきて、ここまで辿り着いた。

子どもの時に受ける理不尽もつらいが、大人になってから受ける理不尽もまた別ベクトルのつらさがあり、それが絶え間なく続くとブチギレるか病んでブッ壊れるか音もなくフェードアウトするかの3択だと思う。

そういう人をたくさん見てきたし、いまも見てるし、自分もいつかその3択を選ぶときがくる。音もなくフェードアウトする準備を少しずつはじめている。

フェードアウトと同時に、せめて自分が手の届く範囲だけはきちんと整備して、みんなが気持ちよく過ごせる空間づくりもしようとしている。

 

お風呂の中で高瀬隼子『犬のかたちをしているもの』を半分くらいまで読み、嗚咽と呻きの中間くらいの声が出た。

わたしがいままでごく親しい人にだけひっそり話していた感情がほぼそのまま言葉になって紙の上に載っていた。今後も大っぴらに話す気がないからこそ、忘れられない一節になった。

眠剤を飲んで寝る。