真夜中の洗濯機

長期記憶にするための覚え書き

逃避

このツイート、共感しかない。

本当は誰が話していようが/誰が話していまいが話すこと、感想をかたちにすることなんていくらでも自分の思い通りになるのに、どうしてこういう自意識が顔を出してしまうんでしょうね。不思議なもんですね。

先日、小出祐介さんがスペースでしゃべっていた『積読』ではなく『貯本(ちょぼん)』『貯書(ちょしょ)』という意識で読書をしていく、といった旨の話もすごく素敵で、さっそく真似したら2ヶ月半"貯めていた"本に手が伸ばせるようになった。かなり影響されやすく単純なので、この波に乗って勢いをつけていこうと思う。

唐突にはじまったスペースだったけど声が聞けてとてもうれしかったな。小出祐介さんのしゃべりを聞いていると、荒んだ心が嘘みたいに落ち着くので不思議だ。

 

ここ1年くらいのブログの記事をひたすら読み返している。定期的にやるルーティン。好きと楽しいしか言えないんかいこいつは、って思いながら毎回いろいろ書いてるけどあんまり進歩がない。でも好きなものは好きだからしょうがなくないですか?とつい開き直ってしまう(いにしえのオタクの心に響くワード)。好きと楽しい、以外で好きなものを彩れる言葉をもっと知っていきたいよね。

絶対に書かないと決めていることがひとつだけあって、それは一切ブレてない。何のことかすらも絶対書かないし一切書きたくない。ひとと直接会ったときに話したことは何度かある。直接なら話せる。相手が聞きたいかどうかを判断して話す。

それにしても去年の自分がもうあんまりわかり合えない他人のようで、読みながらちょっと笑えてきた。心という毎日聞いているものの所在なんてわたしはまったく知らないし、そのまま大人になった。