真夜中の洗濯機

長期記憶にするための覚え書き

知らないほうがましだった事は沢山あるけれど

日々更新しながら、時間をあけて読み返すととんでもない誤字脱字や変な言い回しをしているのに気づくのでちょこちょこ直している。書いたときには気づかない綻びも、書いて更新したあとに限って気づくのはどうしてなんでしょうね。その校閲力が更新前にも欲しいですね。

 

先日、LINEを数年ブロックしていた地元の友達と久しぶりに電話してみた。『なんの前触れもなくブロックされてびっくりしたけど、まわりの友達とあいつはそういうやつだから…って話して納得した』『いつも急に連絡してきて急にいなくなるイメージ』と言われ、自分の人付き合いのクセが浮き彫りになって驚いた。てか、わたしってそういうふうに見られてたんだなってかなり真剣にショックだった。自覚がなかった。

確かになんの前触れもなくブロックしたのです。

嫌なところがあるなら言えばよかったのに、当時のわたしは気持ちを伝えることからとにかく逃げまくっていたので、それができなかった。

地元の友達ってマジでぜんぜん、片手の指でも余裕で余るくらいしか居ないんだけど、自分から遠ざけてクセのある連絡しかしなかっただけなんだな〜ってこの歳になってはじめて気づいた。本当に目から鱗だった。みんな話してくれないな〜と思ってたはずなのに、蓋を開けてみると自分で話さない、近づかない、という選択をし続けていただけなのかもしれない。また自分のことが怖くて信じられなくなった。

 

日曜の朝の梅田の街をはじめて歩いてみる。休みの日の朝の梅田は人が少ない。気がする。

日中の密度が嘘みたいだな、と思いながら誰もいない道を歩いた。まあ、ラブホのチェックアウトもまだまだの時間でしたからね。(日曜朝に梅田にいる人間がみんな飲んでわざと終電なくしてラブホに収容されていると思っている顔)

朝映画が好きな理由、いつも人が多くてよく見えない街の本当の姿を見られるから、ってのもあるかもしれない。ちょっとだけ。丸裸になった梅田の街は、ただでさえまだ完全には見慣れていないのにさらに知らない表情をしていて、たまに直視できなかった。

『さがす』を観た。ら、とてつもなく食らってなにも言えずなにも聞けない状態になりびっくり。いまの気分にふさわしい音楽がなにもないな、と思い、長い道のりを無音状態のまま電車にも乗らずに歩いて帰った。日々ぼんやり考えていたことをこれでもかというくらい眼前に突きつけられるような映画で、ひとこと感想を述べるとしたら『絶句』がいちばん近いのではなかろうか。二の句が告げない。上映が一旦終わったらここにもなにか書きたい。去年は書きたい書きたいつってたことがあんまり達成できなかったので、今年こそ達成させる。

ネタバレしない範囲の感想でいくと、大阪に越してきて若干馴染みが出てきた場所が映るので、余計に胸に迫るものがあった。グリコの看板のとことか。言うてもそんなには行かないけど、ピアス開けたときに耳が痛すぎてあの辺でしばらく立ち尽くしたなあとかそんなことを考えた。あと、しっかり出てくる『スーパー玉出』のレジ袋にも昔よりずっと親近感を覚えている。まだ足を踏み入れたことはないです。

強烈に脳を揺さぶられたあとは、なにも言えなくなるしなにも聞けなくなるんだな、ということを学んだ。食欲もなくなったけど、さすがにしばらくするとお腹がすくので野菜炒めを作って食べた。めずらしく昼夜自炊。最近、自炊が好きだ。

さらに時間が経って倉橋ヨエコだけは聴けるようになったので、静かめの音量で『今日も雨』を聴いた。真実は明日もわたしをきっと泣かせるだろう。