真夜中の洗濯機

長期記憶にするための覚え書き

一杯の永遠を

聞いてください。『ハライチのターン!』のTシャツ着てるひとがいたんですよ。近所に。すげえ。着てるひと、生ではじめて見た。普段は使わないけど近い駅に野暮用ついでに行ったら遭遇した。見覚えのあるピンクの猫に見とれて、結果なんかガン見してる不審な女になってしまったのが申し訳ねえ。

生活圏内に、好きなものを同じように楽しんでるひとがいるんだな。それだけでちょっと強くなれる気がするよね。

 

電車に乗って席に座りしばらく経って、男子高校生が隣にやってきた。いつも思うんだけど男子高校生って生きる力がめちゃくちゃ強くないか?なんか、佇まいにものすごく生命力を感じるんだ。あと、オーラがポカポカしてる。隣に座ってると、熱気でちょっと体温が上がるような。今どき男子高校生がどうのとかいうデカい主語で括るのどうなんって自分でも思っちゃうけど、学生のころ同年代の異性とほとんど接してなかった弊害が出てるんだろうか。ここにきて。

その子たちはペプシを飲みながらおしゃべりしていて、あーやっぱり甘いもん飲むよね、喉乾いてても味ついてるもん選んじゃうよね、それは今だからこそできることな気がするよ、と念じた。この念はもちろん届かない。

 

今日は先輩のすげえ些細なひとことにカチンと来て、反射でオンライン打ち合わせ中の画面をちょっと睨んでしまった。振り返ってとても落ち込む。相手は絶対気づいてないはずなんだけど、どうしてあんな行動を取ったのかもはや謎だ。反射で行動すると本当にろくなことが起きない。カッとなって動くわりに、あとでくよくよ落ち込むタイプなのクソしんどい。

 

自己嫌悪をかき混ぜながら、足しげく通ったラーメン屋さんに(心の中で)さよならを告げに行ってきた。

いつもはいちおう写真を撮ってから食べる。が、今日は写真を撮るのも忘れてがっついている自分がそこにいた。それだけこの味を舌に焼きつけたかったってことなんだろうか。マジで一瞬意識なかった。3分の1くらい食べ進めた段階で『あ、写真撮ってないじゃん』って気づいたので、写真じゃなくて文章として記録に残すことに決めた。

この一杯に死にたい夜を何度救ってもらったことだろう。辛いことやストレスで叫び出したいことがあるたびに、足が自然と向かうようになっていた。ひとりで暮らすなかで、ラーメン屋さんが放つ小さい光と深夜のラジオブースの光がなかったら今ごろどうなっていたんだろうか。ちょっと想像しただけでもゾッとする。

ラーメン自体はもちろん、みんな目の前の丼に無我夢中になっていて、それ故に生まれる静寂が心地よかった。このご時世だと特に。

午前の部もたまに行ってたけど、夜の部に行くのがやっぱり好きだ。食べ終わって、お茶を飲みながら夜の大通り沿いを歩くのが好きで好きでたまらなかった。嫌なことがあっても全部忘れられる景色。道を照らすライトの色さえも愛おしく、抱きしめたい気持ちでいっぱいになる。

離れるのが寂しい。しばらく食べられなくなるのが本当に本当に、本当〜〜〜に、びっくりするほど寂しい。今日の帰り道は、ニンニクの余韻と離れる寂しさを噛み締めながら歩いた。はじめての感覚を抱えながら帰る夜だった。書きながら泣きそうになっている。

たかがラーメンじゃんって思われるかもしれんけど、わたしにとってはされどラーメンなのよ。

ここのラーメンを食べてるときは、こないだの星野源さんと若林正恭さんが言うところの『イノセントな無我夢中』の状態でいられてたんだなと、電車に揺られながらふと閃く。今日、写真撮らずにがっついたのなんてまさにその境地だ。スマホに残るデータよりも、意識をぜんぶ注いで五感に刻みつけたかった。わたしにとってのイノセントな無我夢中になれることのひとつを見つけた。またの名をアメーバ状態。些細でもくだらなくてもいい。無我夢中で、世界と自分の境目が曖昧になる喜びを少しずつ収集できたらどんなにいいだろう。

そんな考えに耽りながら、夜の街を見下ろしつつあと少ししか住めない家に帰った。

自己嫌悪はすっかりどこかへ消えていた。