真夜中の洗濯機

長期記憶にするための覚え書き

突き抜ける予感がするのよ

不意打ちで人から電話がかかってくるのって、うれしくないですか。

わたしはめちゃくちゃうれしくて電話受ける前にすげえドキドキしちゃって、いざ喋りだすとそっけない態度を取ってしまうタイプです。中坊ではなく20歳をそこそこ超えた成人なので、こういうのいい加減やめたいんですけど、なんの薬飲んだらいいんですか?

助かりたい。

人から電話をもらうのがうれしいの、自分からは絶対かけない/かけられないことの裏返しなのかもしれない。いま忙しいかな、急に電話したら迷惑かな、嫌われちゃうかな、とかぐるぐる考えてしまってどうしても無理。自分が電話もらうときはそこまで深く考えてないのにね。おかしいね。なんの前振りもなく人に電話をかけられるのは、自己肯定感が高いひとつの証拠のように思う。

LINEもうれしいけど電話はよりうれしい。あなたの中にわたしがちゃんと居るんですねと思える。文字にするとやばい…重たっ……でも紛れもなく本心なんだよなあ。

こればっかりはまったく嘘ではないので逆に困る。

人に言ってもあんまり共感を得られなさそうなので、今まで誰にも言ったことない。たぶん。忘れてるだけかもしんないけど。

 

『自分には分かりませんでした』で聞いたとある話で、『みんなの忘れたニュースBOT』というアカウントの存在を思い出した。その名の通り、炎上したり話題になったニュースのことを誰もつぶやかなくなった頃にポツン、と突如現れる。このbotの過去ログを見るたび、つい1ヶ月前のニュースでも「あったあった、懐かしいなあ」とか思ってしまっている自分にゾッとする。1ヶ月でもう懐かしい扱いなのかよ。ここ数年で、情報が通過していく速度がますます上がっているような気がする。まるで口元でやたらと音を立てながら飲み下して、ものすごい勢いで排泄しているみたい。消費して即座に排泄して、なかったことにするのが当たり前の世の中になった。それってとても不誠実なことなんじゃないか?とここ最近特に思えてならない。

そんな憤りを抱えているのに、このbotのことを書こうということすらもすっかり忘れていたのが一番皮肉でもはや笑えてくる。

 

穂村弘『世界音痴』を引っ張り出してきて読んでいる。実家から持ってこようと思った1年前の自分をこれでもかというくらい褒めたい。

高校生のころ、はじめて穂村弘さんのエッセイを読んだときの『わたし以外にもこんなに生きにくそうにしている人がいるなんて!』という衝撃と感動が未だに忘れがたいのだけれど、10年ぶりに読んでも同じくらいの感動がまた襲いかかってきたもんだからすごい。

秋葉原駅売店に売っているパンってなんであんなに美味しそうなんでしょうね。道中で食べる場所もないのに、ついつい散財してしまった記憶が同時に蘇る。牛乳も飲みたくなるのよ。瓶なんて今どき捨てられる場所限られてるし、ふだん牛乳なんてめったに飲まないのにさ。甘いパンを食べたあとに飲む牛乳の味のなさ、格別。

穂村さんの日常を見る眼差しがやっぱり好きだ。通勤時間とお風呂の時間で少しずつ読む。

 

きのう醤油漬けホルモンとサンチュを買っておいたのをすっかり忘れてて、帰宅して冷蔵庫を開けた瞬間にうれしくなった。今日いちばんうれしかったこと、確実にこれだな。

これはシビレではないな、とぼんやり思いながら食べる。美味しかった。

てかシビレってなんだよ。食べたことないよ。そんなに美味しいなら一度食べてみたいよ。

今日も飯の話で頭をいっぱいにさせつつ、わたしの好きな人はセッター吸ってる率が高えなあと思いながら寝る。かく言うわたしは多分吸えない。ほとんどメンソしか吸えないし吸わない派。