真夜中の洗濯機

日々の記録

異常な正常者

ロンTやシャツの、かわいい柄やプリントがちゃんと見える季節が好きだ。上にアウターを羽織らないで済んだり、汗をかかずに過ごせる季節はなるべく長く続いてほしい。薄手のトップスやワンピースはまじでかわいいので、1枚でいけるうちにいっぱい着たい。

この秋はストライプの襟付きシャツを着て夜の本気ダンス状態になる。予定。買ってないのでまだ未定。

 

普通にお昼ご飯を食べていても、2人以上で喋ってる人と同じ空間になるだけでどうしても気になっちゃう。改めて文字にしてみると、2年前ではまぁあり得なかった新しい感情だよなと。声デカい人とかはさすがに気になってたけど、話し声を聞くだけで気になる日が来るなんて、想像もしていなかった。想像は今日もまた現実に追い抜かされていた。

最近封切りになった映画の話をしている男性2人組。楽しそうだ。わたしもそれ観たいのよ。楽しそうで羨ましい、と心のどこかで思ってるのだろうか。わたしは我慢してるのに、という嫉みなんだろうか。気になる原因はなんとなく察してるはずなのに、自分の心の深淵があんまりにもグロくて、直視したくない。こんなことで目くじら立てたくないのよ、と思いながらひとり静かに食事を終え、お店を出た。

 

用事を済ませていそいそと帰宅、『あちこちオードリー』のオンラインライブを観る。「心のお札はがし祭」というサブタイトル以上に、とにかく心にしまっていた言葉を解放しまくるトークライブだった。痛快をはるかに通り越して正直だいぶ食らった。いい意味でね。(何かにつけて言いたい。セーフティネットとして備えておかないと落ち着かない)

もう今日はなにも観られないなぁ、と思いながら無音状態でこれを書いている。楽しい祭りはそのぶん刺激も強い。

 

『オードリーのオールナイトニッポン』はもちろん、この半年ちょいで『ハライチのターン!』も大好きになったので、好きな人たちが集って話をしている画には単純にワクワクした。ハライチに対する解像度がガン上がりした状態で観られてよかったなぁと思う。

そのぶん、深淵もより深く感じられた。

深淵をのぞくとき、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。

 

食らった部分ももちろん多かったけど、あれだけ臓物ブチ撒けてくれるのって、信頼感がないと絶対出来ないことだし、ああいう場をつくるのって並大抵の仕事じゃ無理だよなあ。プロフェッショナルってすげえなあ。と結局まあ平凡な着地をした。臓物こと心の深淵は、見せるのも、見るのも、提供の場をセッティングするのだって、それ相応の覚悟がいるだろう。

プロの仕事をしつつ、日々隠している臓物をスッキリするまでブチ撒け、『ちょっと変な部位食べさせすぎちゃったかなぁ』とやや後悔する一同。好きになんないわけがないじゃないよ。ぐじゅぐじゅのプロすぎるよ。恥ずかしいくらいぐじゅぐじゅしていて、熱くて、抑圧されていても、こういうふうに吹き出せる場があるだけでもう救われてしまうよ。ずっとこういう心持ちのまま生きるんだろうけど、好きな人たちもぐじゅぐじゅのまんま同じ世界に生きてるなら、もうそのままでいんじゃね、お揃いじゃん、と自分を肯定できる。

特に春日さんの不器用さが光っていたのが、もうなんだか身悶えしてしまうくらい良かった。おじさんが揃いも揃って、なんて不器用なんだろうか。愛しさしかない。

最近の春日さんは愛おしさがカンストしているように思う。春日さんのトークゾーンを聞いてちょっと涙すること、ここ1年くらいで急に増えた。

 

あれだけたくさん臓物を見せてもらい、お腹いっぱい食べさせてもらってゾクゾクしたので、わたしも心のお札をひとつだけ剥がす。若林正恭さんのエッセイの一節だけ切り取ってバズってるツイート、たびたび見るけど、アレはちょっと許し難いよなあ。

これくらいにしておこう。まだ覚悟が足りない。

 

グッズを買いたくて購入ページに飛んだら、鯖落ちなのかアクセス殺到なのかうまく開かない。あした買うことにする。

ぐじゅぐじゅの気持ちを文字にしてみたら、憑き物が落ちたみたいにスッキリした。『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』を引っ張り出してきたので、枕元に置いて寝る。