真夜中の洗濯機

長期記憶にするための覚え書き

混ざり合わない目線の理由を思い出せるか

記憶に残っている作品は、どこか暗いものが多い。

アンデルセン『赤い靴』は、何故か執拗に読んでいて絵本がボロボロになった。学生のころ読んだヘルマン・ヘッセ車輪の下』は、教科書で読むだけでは飽き足らず文庫を買って定期的に読み返していた。

幸せ、大団円、でないほうが記憶に残りやすいのはどうしてなんだろう。この思想を持ってる人、そこそこ多いんじゃないかしらと勝手に思ってる。

 

最近もっとも記憶に残った作品は、やっぱり『オッドタクシー』だ。

きょうもタイムラインで『オッドタクシー』の文字を観た。あの最終回を経てからというもの、瞬く間にいろんな人に届いた作品のように思う。

この先普通にネタバレするのでちょっと下げます。まだまだいろんな人に届いて欲しいし、ネタバレないほうが絶対楽しいので。

そういえば、昔はネタバレ部分を白文字にして書いたりしてたな。毎週ガンダム00の感想書いてた。いにしえエピソードすぎる。

 

 

 

好きなスタッフさんたちもこぞって観ていた印象。ニッポン放送石井さんも観てた気がすんだけど、自分のいいね欄からツイート見つけられんかった。好きな人が好きな作品を観ているのはいつだってうれしい。

 

実際、放送終了後からのブームが追い風になったようにLINEスタンプやコラボグッズも出てきた。嬉しい限り。LINEスタンプはすぐ買った。送れる友達がいない(悲しい話)。

 

これだけ口コミで評判が広がっていった理由としては、ストーリー展開と風呂敷の畳み方・伏線回収の仕方の巧さ、あとはラストの衝撃度の高さが大きいように思う。

コミュニケーションの不和や事故の影響から『人間が動物に見える』状態のまま過ごしていた小戸川さんが、すべてのマイナス要素を払拭して新たな人生を歩もうとした瞬間に命を奪われる…というラストは、視聴者全員の予想をはるかに裏切る幕引きだった。(直接的な描写はされていないが、最終回直後にアップされたオーディオドラマの内容とも照らし合わせると明らかに…という)

 

わたしは、小戸川さんの死は『この話を、この作品のことを忘れるなよ』という楔なのではないか、と勝手にずっと思っている。

幸せ大団円ハッピーエンド、では、悲しいことに誰かの記憶には残りにくいのではないか。いろんなコンテンツが湯水のようにあふれている現代社会においては尚更。アニメなんて毎クール何本放送されていることやら。もう、到底追いつかないくらいたくさんの作品が放送されて、1クールを走りきって、いつしか記憶から消えていく。多種多様な作品に触れて目が肥えた視聴者は、無意識のうちにより強い刺激を求めて日々彷徨う。

例えば実際、さまざまな議論を呼んだ某WEB漫画の話をもう誰もしていない。簡単に消費するべきでないモチーフを扱った作品が、いとも簡単に超スピードで消費されてしまうのはなんて残酷なんだろう。

そんなことを最近よく考える。

鮮やかに視聴者を裏切る刺激的な展開で、誰かの記憶に残る。爪痕を残す。

求められる刺激が過剰になっていること。強い刺激を求める視聴者に対するかすかな、でも確かな警鐘。『あ〜面白かった』でインスタントに消費すんなよ、という作品への矜持。

この幕引きに、わたしはそんな気配を感じてならない。

 

小戸川さんの明るい未来を奪ったのは、和田垣でもあり、あるいは?

もちろん、自分自身にもそう問いかけている。

 

簡単に消費しないために、せめてなるべく作品を経て感じたことを書いていきたい。実際、当初意図していた方向にまとめられているかは全然わからないしたぶん違う。考え込みすぎな妄想かもしれない。でも、いまの自分が書ける内容を残しておくことで、記憶に刻みつけていく作業をしたい。

好きなものにだけは、少なくとも自分なりに誠実でいたいな、と切実に思う。