真夜中の洗濯機

長期記憶にするための覚え書き

ランドリーで洗濯を

コインランドリーによく行く。

誰もいないお店の中でグルグル回る洗濯機を見ていると、心が落ち着く。うちの洗濯機は縦型なので回っているところが見られないけれど、ドラム式洗濯機がある実家住まいだったころは、たまに洗濯の様子を眺めていた。すると平日は荒れ狂っていた頭の中の波がどんどん凪いでいく。静まり返った水面がそこに現れる。

グルグル回るものと、ゆらゆら揺れる煙(に限らず、空気上にゆらゆら漂っている様子が見えるもの全般)が好きっぽい。

乾燥したあとで熱を帯びた洗濯物を掴む感触とか、洗いたてのベッドシーツをセットしてる瞬間も好き。

他人の洗濯物は、生活そのもののような気がしてまじまじと見られない。罪悪感が湧いてしまうので。洗濯機から出したり、乾燥機にうつす様子もあまり見ないように心がけている。

 

またアプリの話なのですが。アクセサリーみたいにコミュニティをいっぱい身につけたところで人となりなんか何にもわかんねえよなぁ、と思いながら今日も入会ボタンを押したりスワイプを繰り返したりしている。

たとえば散歩ひとつとっても、近所をフラフラするか本気で長距離を歩くか、知っている道が落ち着くのか馴染みの公園があるのか、知らない街を重点的に攻めているのか、で話が全然変わってくると思うんだ。まぁ、マッチしたあとの話で解像度を上げてきゃいいだろと言われればそこまでなんですが。

ニッチなコミュニティがあったらぜひ入りたいんだけど、わたしの探し方がアレなのかあまり見つからない。『OKストアの会計時、割引が入ると一気にテンション上がる』コミュニティとか無いんか。無いですね。はい。お疲れした。

 

誰かとつながるということは、誰かとつながっていない時間がより際立つということだと思っている。いま特に。

この思想、自分の首を真綿で絞めているようでけっこう苦しいので、脱却を試みつつはや半年。人はすぐには変われないし変わらない。だから新しい関係を一から作り出すのが怖い。うまくいかない寂しさ苦しさへの耐性がどんどこ無くなっていってる。

人よりもそこそこ度胸があるほうだと自負してたんだけど、この数年間でびっくりするほど臆病になった。それだけいろんな景色を見てしまった、ってことなんだろうか。