真夜中の洗濯機

長期記憶にするための覚え書き

愛である

先週からずっとお腹が痛い。

お腹全体がジワッと痛いので、女性特有のそれではなくストレス性の胃炎(持病)なのでは?と思い、休み時間をつかって薬局に駆け込んだ。

胃薬を探していると、通りかかった薬剤師さんが「なにかお探しですか」と話しかけてくれたので、躊躇うことなく「たぶんストレスで胃が荒れてるんですけど、オススメの薬はありますか」と尋ねる。

漢方コーナーに案内してもらい、勧められたブツを言われるがまま買った。

仕事が忙しくてストレスがかかっているのは紛れもない事実だったので、飲んだ途端にちょっとよくなったような気がした。プラシーボかな。

信じる気持ちがそのまま体内に流れ込んでいきやすいのか何なのか分からんけど、わたしは昔から薬を飲むなり途端に体調が良くなることが多い。病は気から。先人たちはよく端的にものを言ったもんだよなあ、と日々ふとした瞬間に思う。

そういえば好きな人も心に効く漢方の薬を飲んでるとか飲んでないとか言ってた気がしたなあ、と、錠剤を口に含みつつ記憶をたぐり寄せる。わたしが勧められたのもストレスからくる胃腸・みぞおち等の痛みに効くようなブツだったので、シンパシーを感じてちょっと嬉しい。

好きな対象がたくさんいると、日々のほんの些細なトピックスでもその対象(もしくはその対象を連想させるあれやこれや)とこじつけて楽しめるのでよい。単調でグレーがかった世界に差せる色を少しずつ増やしているような気持ちでいる。

 

親しい人のことを親友、と呼べない人生だった。

親しい友達はありがたいことに何人もいたし、今もいるけど、親友ってどういう基準で判断したらいいのか未だにわからない。巷の人はどうしてるんだろう?『わたしたち親友だよね?』という確認の儀式などを執り行って、そのへん厳粛にやってるんだろうか。たまに人から『こないだ親友と〇〇してさ〜』みたいな話を聞かされるたびに、頭にはてなマークが浮かんでしまい肝心の内容が入ってこない。

そもそもこっちが親友と思ってても、相手がどう思ってるのかわからないのに『親友です!』って言ったら矛盾が生じないか?と疑問が止まらなくなるし、そもそも親友と呼んでもらえる自信が全然まったく露ほどにもない。

友達のことを『親友』と呼べる人は、自己肯定感がバチクソに高いと思う。

この『いつになったら人を親友と呼べるのか問題』、20数年経っても一向に解決の糸口が見えないので、どうしたもんかなあ。