真夜中の洗濯機

長期記憶にするための覚え書き

祭りのまえ

夢を見た。高校生のころのバイト先にいる夢。

わたしはクレジットカードとポイントカードをお客さんに返し忘れていて、でもそのお客さんは帰ってしまってもうお店にはいなくて、店長にめちゃくちゃ怒られて落ち込む夢。

記憶力の良さだけは自信があって、何年も前に会った人でもパッと名前が出てくることなんてザラにある。中学の同級生もわりと覚えてる。

でも、わたしは誰の記憶にも残れていないんだろうなあとも思って、たまに虚しくなる。

 

腕に「恋愛でジタバタもがくよりも大事なことって、人生にたくさんあるだろ」ってタトゥー彫りたい。『窮鼠はチーズの夢を見る』、2回観ました。ストーリーはさておき(さておくなよ)、絵面があんまりにも綺麗だったのでもう1回観ておいてもいいかなとすら思った。大画面に負けない絵面の良さ。

そして蝉よりも死ぬのが早いマッチングアプリの男性、賽の河原で死んだ目をしながら石という名の屍を積み上げるわたし。好きになった人のことは、もう極力インターネットに書かないことにする。これもわたしなりのジンクス。なぜなら、書いた途端にうまくいかなくなるから。まあ書かなくてもうまくいってはなかったんだろうけど。そもそもわたしの中の「うまくいく」という定義はとても曖昧で、付き合うことはせずゆるく長く、いまにも切れそうな細い糸で繋がってさえいられればそれでいいと思っている。今は。でもそれって、相手にとっては時間の浪費なんじゃないかということも薄々気づいている。言われなくてもわかっているんです。

 

暗い気持ちでグチャグチャになっていたところで、「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」の文庫版が出たので、貪るように読んだ。

今でもストックル間欠泉が吹き出てきた瞬間を鮮明に思い出せる。

間欠泉が天を突き刺した瞬間、

「なんだこれでいいのか」

そういう風に思わせてくれてぼくは救われた。

ずっとぐじゅぐじゅしてて、熱くて、抑圧されていて、でもある瞬間、誰もが口を開けてどん引きするぐらい吹き上げて一瞬で空に消えて行っていいならば、ぼくがずっとぐじゅぐじゅして抑圧されて恥ずかしいから熱い部分を隠していることも、これから死ぬまでずっとそうであることも救われる。そして、自分でそれを肯定できる。

ぐじゅぐじゅしてても全然いいのか。不安定な自分が許せなかったけど、こういう視点もあるのか。遠いアイスランドの地で、噴き上がる間欠泉を見て救われた若林正恭さんの様子に、わたしもまた救われた。

 

今日は、普段ひた隠しにしている熱い部分を唯一さらけ出せる場所に行く。Creepy Nutsの武道館ライブ。ライブ前日のワクワク感とか、いろいろ想像して眠れなくなるのとかを久しぶりに体験できてすでにめっちゃ楽しいけれど、終わってしまうのがとにかく寂しくて当日になった途端にブルーになっている。わたしには昔からこういうところがある。とにかく情緒がグチャグチャ。遠足のときとかも当日になってすげえテンション下がってた。

今年、なによりもいちばん楽しみにしていたライブ。出来事。行けるかどうかの瀬戸際ギリギリをずっと過ごしていたので、無事に当日を迎えることができて本当によかった。

いつもライブに行く前がいちばん楽しいなと思っていたけど、このライブに行く前の感情って自分の中でいつもより特別な気がしてて、グチャグチャなままでもいいからちゃんと書き残しておきたいなと思った。あとで見返したい。なのでいま出勤前の電車で書いてる。

この状況下の中で、こんなに心からワクワクできる出来事って、ものすごく貴重で大切にすべきことだと思うので。

 

昨日のラジオを再生したら、いつも通りクソくだらねえ話でゲラゲラ大盛り上がりしてて安心した。こういうところが好きだ。

ああ、今日やっとあの板の上に立つふたりを観られるのか。楽しみだなあ。