真夜中の洗濯機

長期記憶にするための覚え書き

バイバイじゃあねまたね

転職してからのブログを読み返してみる。

無理に明るい言葉を連ねて、自分で自分を鼓舞しているような感じがした。鼓舞するのはよいことなのだけれど、度が過ぎると心か身体のどちらかに必ずしわ寄せが来る。

今回は身体にしわ寄せが来て、5年ぶりくらいに発熱し会社を休んだ。コロナではなく恐らくストレスから来る胃腸の荒れと発熱らしい。当然疑われたし自分も疑った。ちゃんと治ってよかった。発熱で会社を休んだこと、今まで無かったのです。本当に。社会人生活の中ではじめて。これ言うと大抵びっくりされる。隙を見つけてはサボり学校に行っても寝てばかりいた学生時代から一転、ほとんど体調を崩さず働き続けていたのに自分でもびっくり。その代わりに心がズタズタなときもあったけれど。心も身体もすこやかな瞬間、振り返ってみたら人生のわずかばかりしかないな。せいぜい6歳くらいまでか?あとはずっとどちらかがガタついてた。果てしない生きづらさ。

やる気はあるのに空回りして無駄なところで詰まってしまい、結果的に自分を苦しめる負のループに陥っている。でも、どう助けを求めたらよいのかがわからない。これが辛い。でも、たぶんまだ自分の弱いところに目を向けたくなくて逃げてるところもあるんだろうな。自分が弱いところをもっと認めて、弱いなりにどう戦えばいいのか考える。でも、自分が弱いことを認めるのはなかなか難しい。いつだって強いフリをしていたい。辛い。そんなときは、元彼に「◯◯(本名)ちゃんは、自分のダメなところをすぐ変えようとして空回りしがちだよね。理想が高い。人間そんなすぐ変われるわけないじゃん。少しずつでいいんだよ」と言われていたのをいつも思い出す。結果的には別れてしまったけれども、その言葉を杖みたいにして未だに生きてる節がある。自分のことを心から好きでいてくれる(た)人の言葉は重い。クソみたいなモラハラも受けてたけど、それはまた別の話。

そう。元彼。未だに夢に出てくるんですけどどうしたらいいと思いますか、有識者の方。未練がやばい。苦しかったこともたくさんあったし付き合っている最中も別れる前もまあまあ苦しんでたのに、別れた途端に美しい思い出しか残っていなくてどうしたものか。別れてまだ数ヶ月しか経っていないのにはやくも思い出にバイアスをかけまくっている。SNOWのフィルターばりに現実と乖離があるけれども、思い出の中だけでも「ああ、楽しかったな」と幸せに浸りたいのはやっぱりわたしの弱さで、ダメなところなんだろうか。

もはや元彼にこの文章を読まれてもいいとすら思っている。読んでくれむしろ。わたしはものすごく、それこそ人生を賭けられるほど好きだったと思っている。だからこそ、今後生きていく上での大事な選択肢がくっきり分かれてしまったのが未だに悔しくて寂しくてたまらない。あなたはどうですか?別れる前、最後に食べたたこ焼きの味、覚えてますか?ふたりで向かい合って泣きながら食べましたね。わたしはまったく味を感じ取れなかったので覚えていません。わたしが家を出る前に書き置きした最後の手紙、本当にちゃんと読みましたか?付き合っているころはわたしが書いた年賀状やらを大切に保管していたのに、別れた途端どうでもよくなって捨てましたか?返事くらい返してくれてもよいのではないですか?返事がほしい、と思ってしまうのもやっぱりわたしの弱さですか?あなたがあまりにも面白かったので、マッチングアプリで他の人と話しても会ってもお酒を飲んでもいい感じになっても道を踏み外しそうになってもイマイチ楽しいと思えないんですけど、どうしたらいいと思いますか?

ストーカーっぽくなりそうなのでこの辺で一旦止めておく。この時点で1500文字オーバー。ブログを書くと、自分の気の狂いを客観視しながら記録に残しておけるのでよい。

 

それではここで一曲聴いてください、aikoで「アンドロメダ」。

アンドロメダ

アンドロメダ

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