真夜中の洗濯機

長期記憶にするための覚え書き

わたし

忙しい、と言うのが嫌いだ。仕事でも極力言いたくない。「できません」を言いたくない。

でも、「せわしない」という言葉の字面は好きだ。漢字ではなくひらがな。なんだかまるみがあってかわいい。

「いそがしい」は、たとえひらがなにしたとしても全くかわいくない。字面も嫌いだ。なんかガサガサしてる。

 

平日でもめざましをかけずに寝る。ので、たまに寝坊する。カバンのほつれをハサミで切らない。やらなければならないことがびっくりするほど積み重なっていく。ぷよぷよのおじゃまぷよみたいに。痛む頭は頭痛薬でなんとかごまかす。元彼と別れたさびしさが、時差を伴って身体中に毒のように蔓延している気がして、3月中はなんだかずっと狐につままれたようで頭がおかしかった。あまりの自分のおかしさに不安がぶわっと膨らみ、10年ぶりくらいに心療内科に駆け込んでみたりもした。あと普通に体調も崩した。何かがおかしくなると、ドミノ崩しみたいにぜんぶが音をたてて崩れていく。ギリギリのところで踏みとどまりながら、診療室の清潔すぎるドアをなんとかノックした。結果、ひとつのことに固執したり依存したりするのはリスクがかなり高いので、依存先や気持ちを打ち明けられるひとを増やす必要があることを改めて学んだ。何事も加減がわからない。未だに。それこそ一度でも沼に足をとられると、そこにずっと固執して縋りたくなってしまう。もはや「わたし」という存在を感じたくない。縋っていれば、依存しているものに自我ごと飲まれてしまえば、わたしという個の存在自体が薄れる。…といった旨のことも話したら、あまりの自己肯定感の低さにお医者さんが驚いていた。あ、そんなに自己肯定感低いのかわたし、とこちらもまた驚いた。思い返すと、会話の中で「わたしは」と発言するのが年々嫌になってきている。きょうも3回くらい言ってしまった気がして思い返すだけで嫌だな。人の話を聞いている最中に、相槌だけでなくて自分の意見も交えたいときがもちろんあるのだけど、「わたしは…」と口にしただけでほのかな罪悪感が芽生えるのだ。またわたしの話してしまってごめん、と心の中で頭を下げて謝って、相手に会話のイニシアチブをそっと戻す。逆の話をすると、自分の話ばかりしている人が苦手だという感情が少なからずある。少なからず、というのは盛った。正直に言うとめっちゃある。いやわたしのターンじゃんいま、と話すたびに靄が溜まる喉。たぶん自分にできないことだから羨ましいんだと思う。でも、わたしもじゅうぶんわたしの話ばかり人にぶつけて相手の気持ちを汲めていない気がして、自己嫌悪のループに陥るという繰り返し。だってこの文章の中に「わたし」って何回出てきたよ、という。

「私」という表記よりも「わたし」という表記の方がしっくりきていて、最近はこの表記をよく使う。一時期はずっと「私」だったけれども。誰も気にしないところを、わたしだけが気にしている。自意識過剰、ということばを生み出した先人は天才だ。過剰すぎるのだすべてが。

生理前でメンタルが終わっている。あんなに固執していた男のLINEも数時間止めている。いつもだったら秒で返信するのに。さびしくて。元彼の呪縛、どうやったら解けますか?教えて偉いひと。

 


Base Ball Bear - The Cut -feat. RHYMESTER-

ふと聴いたこの曲の詞にハッとした。定期的に聴いているはずなのに、いつもよりも言葉がグサグサ刺さる。

 

言ってみれば病的な気にしいばっか そのくせ人には手厳しいばっか

まるで自分で自分縛った みたいに動けなくなっちまった

だが、どのカットだって描き方次第 君はどんな見方したい?

その違いこそを語り明かしたい 違いこそ分かち合いたいさ

「変わらない世界」「変われない世代」 「変わらない気分」「変われない自分」

変わらない陳腐なヘッドライン 変えたいならば今がデッドライン

変わらない景色の中から 切り出すのさ奇跡のワンパターン

Just cut! Chop! Rip! Slice!切り取れ闇を鮮やかに

Base Ball Bear The Cut -feat. RHYMESTER- 歌詞 - 歌ネット

 

わたしは、どんな見方をしたいのだろう?