Creepy Nutsの新譜「オトナ」がすばらしい。
特に2バース目、先日Zepp Divercityで行われたライブでのMCと通ずるものを感じた。
俺は時間に遅れる
おまえは人の顔色見ずに思った事をすぐに言う
じゃ俺が空気を和ます…なるべく
おまえが引っ張った足の分
俺が引っ張った足の分
おまえの欠けたところ
俺の欠けたところ
アイツの欠けたとこもキミの欠けたとこも笑い会えたら
Rさんが「俺のことだけ歌ってる、俺の個人的な話を『わかります』って顔して聴いてくれているのが嬉しい」という話から、「俺もそう、松永もそう、梅田サイファーの仲間たちもそうで、どこか欠けている、欠落しているけれど、そこが味なんじゃないかと思う」と締めくくってたのに心底救われた。
人よりちょっと"たりない"ところも、個性なのだと思えば生きるのが少し楽になる。お互いを認め合って、Rさんと松永さんみたいにある意味『低めあう』関係は素敵だと思う。
(例:ライブ中に相方がミスった場合「俺もまだ(ミスっても)大丈夫だ」と喜ぶ。「残機が一機増えたみたいな感じ」©︎松永さん)
便宜上「サブカル」という言葉を使わなければならない場面にかなりの確率で遭遇する。最近。言うたびに地味に心にトゲが残る言葉だなあ、と思うので本当はあまり使いたくない。本当は星野源さんの受け売りで「ポップカルチャー」と言いたい。が、そんなこと言っても相手が「ハァ?」となり場の空気を抹殺してしまうこと請け合いなので、グッと自我を押しつぶしてきょうも「サブカル男子」というよくわからん形容詞を使った。サブカルチャーとは。そもそもメインカルチャーとは。優劣も大小もなく、おもしろいコンテンツは存在するだけですばらしいのに。
ポップカルチャーに造詣が深い男性がとても好きなのでそれを表現したいだけなのだけれど、どうしてもキャッチーな「サブカル男子」という表現に勝てない。ずっと。キャッチーなのは分かるんだけど、口にするとモヤモヤするのだ。地味なストレス。トゲは溜まる一方である。こういうめちゃくちゃ些細なことも気にしないで生きられたら楽なんだろうなあ、と思うけれども、もう物心ついたときからこんな感じの性格だから今更どうにもできないのだ。そのくせ、些細なことに気を取られて結構大事なことを見落としたりする。たぶん興味がないことに対する視野が超狭い。
生まれてこのかた、ぶっちゃけ自分の性格がぜんぜん分かってなかったんだけど、最近やっと掴めるようになってきた。ような気がする。これは新たな視野なのか?