真夜中の洗濯機

長期記憶にするための覚え書き

醒めない

頭が痛い。ここ近年で気圧の影響をモロに受けるようになった。頭痛ーるをダウンロードし推移を見ると、頭が痛くなったときからちょうど気圧が下がり始めていた。ここまで正確にバロメーターと化さなくてもいいじゃないか私の頭よ。

 

何事も自分の判断だけでなく客観的な意見を仰ぐことの大切さを最近痛感している。私はだいたい考え込みすぎて2択を間違えるタイプだからだ。今まではひとりで考え込みまくって、どんどん視野が狭くなって間違った方のボタンを押してしまう人生だった。また同じ過ちを繰り返してしまうところだった。

幸いにも、私が間違った道に進もうとするたび制してくれたり怒ってくれたりする人がいる。自分のことはいつまで経っても好きになれないけど、友達や周りの人に恵まれている点においてだけは自信がある。

 

最近、好きだと思って追いかけている人、"推している人"に共通点があることに改めて気づいた。心の根底の部分が少しだけ暗い。他人の目を気にしながら生きている。どこか素直ではなくひねくれた部分がある。自意識過剰。やや神経質。グルーピングするわけでもカテゴリに当てはめてガチガチに縛るつもりもないのだけれど、どこか自分と通ずるところがある人ばかりだと思う。

"自分と似ているから"好きなのか?それだけなのか?さっき「自分のことが好きになれない」と書いたけど、推しを追いかけることでもしかして遠回しに自分を認めようとしているのだろうか?超まわりくどい自己肯定。つまり推しは自己肯定のツールのひとつに過ぎないのだろうか?かゆいところに手が届く孫の手みたいなもんか?使うとスッキリする、それだけなのか?

これも思い詰めすぎると、じゃあ私が今まで時間とお金を費やしてきたことって一体…。とどんどん怖くなってくるので、現時点ではこの辺りで一旦思考を止めている。自己肯定がなんぼのもんじゃい、楽しいからやってんねん、と笑い飛ばせる日は来るのだろうか。時間が解決してくれる、のか?

たぶん他人からしたら本当にクソしょうもない何じゃこりゃって感じの悩みなんだろうけど、私はわりと真面目に悩んでいる、というかひたすら考えまくってる。何故こんなに固執してしまうのか、も併せて考えている。

 

年が明けてからクリープハイプをずっと聴いている。新譜『愛す』も絶賛リピート中。最初はなんだこのタイトル喧嘩売ってんのかと思ってたんですけど(自意識過剰)蓋を開けてみたらとんでもねえ名曲だった。大事なことを余計な成分でコーティングし隠しつづけ、結局最後まで言えなかった人の曲。

 

https://music.apple.com/jp/album/%E3%82%AD%E3%82%B1%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%82%A2%E3%82%BD%E3%83%93/1494069891?i=1494070215

カップリング「キケンナアソビ」がこれまた素晴らしいのだ。不穏なイントロ・和っぽいメロディーが絡まる中で、切ないと表現するにはあまりにも生々しすぎる詞が連なっている。正直に言うとこの曲に共感する人生など送りたくなかった。聴くたびに心の触りづらい柔らかい部分を連打されているような感覚に陥る。そのうち腐りそう(©︎やわらか戦車

この曲に限らず、クリープハイプの曲は聴けば聴くほど苦しかったり辛かったりした記憶がフラッシュバックするものもあるのに何故か聴くのをやめられない。歌詞をぜんぶ印刷して特に好きな部分にマーカーを引いて、延々ファミレスとかで語り合ったり考察し合ったり更に読み込んだりたまに音読したりする会を開きたいです。参加者募集中です。相互の方はリプください。半ば本気です。

 

ていうか常々思っているのだけれど、Apple Musicのリンクをテキスト形式でなく埋め込むにはどうしたら良いんだろう。はてなブログにはまだ対応してないんだろうか?PCから更新したらどうにかなりそうな気もするけれども、如何せん立ち上げるのがめんどくさい。スマホで完結させたい。早速ググろう。