真夜中の洗濯機

長期記憶にするための覚え書き

夜が来て町に闇が降るよ

また筋トレ楽しいね期がやってきた。うれしい。おかえり。YouTubeで筋トレ動画をいろいろ見ながら日々ヨガマットを広げている。おそらくまたすぐに筋トレイヤイヤ期がくるので、それまでできる限りのことをしようと目論んでいる。

今日ははじめてダンスをしてみた。これが意外と気恥ずかしくて、なかなかオーバーな動きができない。自意識過剰っぷりを誰も居ない自宅で発揮しまくった。

そう考えるとアイドル現場にいるときはシラフでもガンガン踊れるのですごいなと思う。アイドル現場はシャブもガンジャもいらないアルカディアなのかもしれない。(©︎高比良くるまさん)

そういえば昨日混ぜてもらったスペースでYouTubeプレミアムの素晴らしさを教えてもらってからというもの、お試しプランの加入を本気で考えはじめた。サブスク1個抜けて来月からスタートしようかなあ。悩む。魅力的すぎて抜けられない未来がすでに見えているからこそ悩む。

 

cnannを聞きながら出勤&退勤。散歩しながら帰るのにいちばんちょうどいい季節がきてうれしい。いい季節だ。

リスナーからサムい比喩下ネタが送られてきたくだりで『朝キャバのおじいちゃん』という例えが出てくるあたり、やっぱ指定さんのことめちゃくちゃ好きだなと再確認した。謎の再確認の方法。

てか朝キャバってなんだ?ってなってググったら本当にあるんですね。またひとつ雑学を蓄えました。

松永さんが言ってた『キャベツはまるまる1玉取っておいて、葉っぱをちぎりながら芯を残して使うと腐らない』って豆知識もひとり暮らししてからずっと活用させてもらってる。わたしの中でのcnannは地味に雑学ラジオの立ち位置にもいる。

 

ニューミュンヘンって関西にしかないよなそういえば、とふと思う。

きょう会社の人に「ミュンヘンありますよ」って言われて普通にあぁ、ミュンヘンか、いいすねってリアクションできたけど、たぶん1年前だったらなんじゃそれってなってたはず。時間が過ぎるのってマジあっという間だ。

ニューミュンヘンの唐揚げはとても美味しい。地元の友達がこっちに来てくれたとき連れていったらすごく喜んでもらえた。

住めば都、慣れればなんとかなるよ、と1年前の不安で仕方なかったわたしに教えてあげたい。

眠剤を少しずつやめたいので適度な運動をして疲れたまま寝る。

歌舞伎町のど真ん中でポテトサラダを食べる

歌舞伎町のど真ん中でポテトサラダを食べたこと、ありますか?わたしはあります。

まだコロナ禍になる前に参加した飲み会で、なぜか土産にポテサラのパックを持たされたまま、だいぶ酔った状態で夜の歌舞伎町を彷徨った。

結局テルマー湯に泊まり、朝方入ったサウナと露天風呂で酒を若干抜いたあとに路上でパックを開けて、むしゃむしゃ食べて、そのまま帰った。

夜行バスを降り、ド早朝の新宿を闊歩しながらふとそんなことを思い出した。消灯前に眠剤を飲んだおかげで過去イチよく眠れた。良いんだか悪いんだかわからん。

ここ2年くらいすっかり忘れていた。街を歩くと記憶が蘇ってくるよね〜って話、今週の佐久間さんANN0でも聞いたな。

途中、現地調達予定だったものを揃えるために立ち寄ったダイコクドラッグでyonawo『tokyo (feat. 鈴木真海子, Skaai)』を耳にし、思わずマスクの下で「おおっ…」と感嘆の声をあげた。

東京ではじめて聴いたぞ!と思った(ずっと大阪で聴いていたので)。

 

お腹がすいたけど、松屋の朝定食の気分ではない。何を食べようか?と考えていたところ、『いわもとQ』の看板が目に飛び込んできた。すかさず入ってみる。

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モーニングメニューのかき揚げそば(冷)を注文。これがもう、噂通りのハイクオリティで朝から感動した。サクサクのかき揚げとそば、東京ならではのキリッとした醤油ベースのつゆの冷たさが素晴らしい三重奏を奏でている。あの味が数日経った今でも忘れられない。

目移りしてしまうくらいいろんなメニューがあった。次はなにを頼もうかな。天丼にしようかな。大阪というか関西のうどん文化に対して、関東はめちゃくちゃそば文化だよなぁ、と至るところに鎮座している立ち食いそば屋を見ながら思った。どちらにも住んでみてはじめてわかることってとても多い。

そばを食べたあとは久しぶりのテルマー湯へ。テルマー湯は「とにかくデカい風呂に入っているな」という気持ちにさせてくれるので好き。バーンと開けた感じのお風呂スペースも、露天で外気浴がバッチリできるところも良い。あんな都会の真ん中のゴミゴミした場所に立ってるとは思えないし、酔った日に何度助けてもらったかわからない。並々ならぬ恩がある。

ド平日の朝っぱらなのにかなり盛況だった。おそらくガールズバーかなんかの出勤を終えた女性たちの与太話を聞きながら髪を乾かし身支度を整える。そんな謎の時間が発生するのもこの立地ならではでおもしろい。

テルマー湯を出て、目の前にある東京吉本の本社にまたもや「おおっ…」となりつつ小田急線のホームへ急ぐ。何度となく見てるのにいつ見ても慣れない東京吉本本社。佇まいが異質すぎる。

 

母と下北沢駅で待ち合わせて、シソンヌライブ『onze』を観た。シソンヌライブは毎回母と観に行っていたけど、コロナ禍で現地開催が無くなったりしたので、一緒に本多劇場に行くのはどうやら3年ぶりらしい。

本多劇場の目の前の居酒屋の前を通り、そこで誰かと飲んだ気がするなぁと記憶をたぐった。頑張ってもまったく思い出せない。もはや飲んだという事実すらも忘れていた。

下北はなんかそんな感じの断片的な記憶が、そこかしこの道端にごろんと転がっている街だ。継続している記憶やものごとは、本多劇場にシソンヌを観に来ていることだけ。あとたまに古着も買いに来ていたりしただけ。

母とは定期的に電話しているのでそこまで久しぶり感はなかった。でも改めて対面で話して、やっぱちゃんと実家帰ろう、と思った。電話もいいけど会って話すのって大事だ。

シソンヌのライブを観たあとは、日々のなんてことないことをやたら慈しみたくなるし、周りの人にちょっとだけ優しくしたくなる。

毎年思うけど、今まで誰かが話題にしていそうでしてなかったテーマ選びも本当にすごい。配信チケットも買ったので次の週末に観よう。

シソンヌのライブを観たあとだからこそ、実家に帰らねば、と思えるようになった。気もする。

毎月吉本興業に金を納めているので(FANYプレミアムメンバー)前方席が取れて、母がとても喜んでくれてうれしかった。

母は久しぶりに大好きなシソンヌを生で観られて終始うれしそうにしていた。推しがいるって偉大なことだな。じろうさん、長谷川さん、いつもありがとうございます…。

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電子チケットを見せたあと、紙のチケットももらえた。とても粋な計らい。席番がなく公演日だけ記載されているので、風景や会場に貼ってあるポスターと一緒に写真におさめやすいのも良い。考えてくれた人、天才だ…と思った。

東京駅で買った好きな作家さんのクリアファイルにおさめて大切にしまう。

これに入れるとなんでも色校になる。意外と仕事のことを思い出してブルーになったりとかはしない。かわいい。

 

合間合間でで仕事もしてときおりブチギレつつ、そして落ち込みつつ、富士そばでカツ丼を食べて帰宅。カツ丼にくっついてくるスープというかそばつゆ、しょっぺえ〜。これよこれ。ちなみに関西の人に「しょっぱい」と言うと通じない確率が高い。

泊まったホテルがめずらしく若干ハズレだったことと、気持ち的にキツい仕事以外はとても楽しかった。

夜にカフェでコーヒー(眠剤なしで寝たいのでカフェインレスのやつ)飲みながら読書したのも良かった。

東京滞在中、マジで酒を1滴も飲んでいないし、新大阪のホームに帰ってくると落ち着く。やっぱりまた自分で自分にびっくりする。

ヘッドライトの光は手前しか照らさない

土日休みの2日間って絶妙な塩梅だよなと思う。しかしできるなら毎日休みたい。

きのうの夜、いまの仕事をはじめてすぐの頃に書いた日記を読み返していた。めちゃくちゃピュアでいい奴だ。この人と働きたいわと心底思った。

数ヶ月揉まれに揉まれた結果、日々の煩わしいことに直接対面するポジションになってしまったので、イライラしすぎてたまに初心を忘れそうになる。やべーなって思ったら読み返すことにする。これだけ心労があるので給料を上げてほしいけど無理なんだろうな。

ここ数日もまぁ相当なもんだけど、その比じゃないくらいめっちゃ怒ってる文章が下書きに取り残されていた。正直もうあんまり覚えてない。最近の仕事は怒りをエンジンにして動くことが結構多いけど(いいか悪いかはさておき。たぶんよろしくはない)燃料にしたらもうすっかり忘れてしまうらしい。

適度に怒るのは大事だと思う。でもやり過ぎると自分の心もしっかり蝕まれるので塩梅がムズい。

 

JR天満駅では発車メロディとしてaiko『花火』が流れる。これがかなり好きで、何もなくても天満で降りたくなるレベルで良い。

仕事はクソだけど暮らしは毎日楽しいというバグ。仕事がクソというか社内折衝がただただクソ。

これから夜行バスに乗る。1年ぶりの夜行バス、やっぱり心が躍る。なんでこんなに好きなんだろう、夜行バス。

ああ言えばこう言う、こう言えばそう言う

先日、淀川の花火大会があった。

行かなかったけど、帰りの時間と偶然ぶつかり、想像よりもずっと多くの人が足を運んでいたことを知ってびっくりした。浴衣姿の人とたくさんすれ違う。最後に浴衣着たのっていつだっけなぁと一瞬考えた。思い出せないくらい昔だった。

こちらの人は『淀花』と略すことをあとで知る。関西の人はなにかと略すのが好きなのだな。

来年は人が少ないところで、少しだけでもいいから見てみたい。

 

夏っぽいプレイリストを作った。かなりお気に入り。

組んでみて、自分が夏の日中よりも夏の夜が好きだということに気づく。夜っぽい曲がまぁ多い。無意識に入れてるんだろうな。

夏の本質は夜にあると思うのです。

心地よくぬるい気温で、夜ふかしをするのがいちばん楽しい季節。公園でアイス食べたりビール飲んだりするのが楽しい。

日も短くなってきて、そろそろ終わってしまいそうな気配を感じる。今年は特に暑くて大変だったけど、いざ終わるとなると毎年変わらず寂しいのはなんでだろうね。冬よりも夏のほうが寂しい。

 

オキニ喫煙所で見かけたKANGOLのベレー帽をかぶった女性の姿に秋を感じた。

昔からずっとあの形が好き。自分が被りたいというよりかは、被っている人を見るとテンションがあがるやつ。ボブ×KANGOLのベレー帽の組み合わせは間違いなく最強である。

 

わたしはつくづく会話劇が好きなのだなあ、と『リコリス・リコイル』を一気見していて思った。こだわりがあるぶん、好き嫌いもだんだん自分の中でハッキリしてきた。

漫画/アニメ、映画/ドラマでそれぞれしっくりくる会話のテンポや話し方は違う。漫画/アニメの中での会話は多少硬くても違和感なく読めるし観られるけれど、映画/ドラマにおいては「言葉のチョイスや流れが硬い、生っぽくない、生身の人間の言葉としてはちょっと不自然かも」と感じると途端にそれがノイズになってしまう気がしている。わたしの価値観の中では。最近いろいろな作品を観ていてハッキリしてきたことのひとつがこれだ。

でも、自分に合わないからといってよくないわけではない。ただ合わなかっただけ。そう割り切るとちょっと楽になる。Filmarksで評価が高かった映画を観てピンとこなくても、悲しくならなくていい。

あと、恋愛を美しいものだと思っていた時期が極端に短いせいで(おかげ、でもあるけれど)恋愛を美しく描く作品にイマイチのめり込めないのが悲しい。

ただ、『初恋の悪魔』の「わたしの思い出はわたしだけのものじゃない、それがうれしい」という台詞にはあまりにも思い当たる節ががありすぎて、泣いてしまった。これは恋人に限らず友達に対してもそう。誰かと思い出を共有できることはとてつもなく尊いことだ。そのあとに続くセリフが、生活の何気ない様子を一粒ずつ丁寧に掬い上げていくようなもので、余計にボロボロ泣いた。わたしがこの先もずっと大事にしていきたいものが詰まっていた。

去年の夏は状況も状況だったので、意図的に人と会わないようにしていて、それが結構しんどかったから余計そう思う。意外とひとりが寂しいタイプなんですか?と自分自身に問いかけてみたりもした。

仕事はしんどいけど、周りは楽しいものであふれていて、にぎやかでうれしい。また本をぐんぐん読めるようになってきたのもうれしい。

きょうは眠剤なくてもいけそう。YouTubeを流しながら寝る。

世紀末は夏のままで

若干憂鬱だった用事や打ち合わせが終わりひと段落したはずなのに、心がずっとザワザワして落ち着かないのはどうしてだろう。皿が洗えない。シンクが大変なことになりつつある。ダメになりつつある合図だ。

久しぶりに話した人が、元気なようでいてわたしの話にはほぼ全く耳を傾けていないのが如実にわかって凹んだからだろうか。別れてからしばらくして『すまん、今日はテンションに波があった』と言ってくれるだけまだいいほうだと思いたい。

うっすら気づいてはいたが、この人はわたしのことを尊重しようという気があまりない。言うても仕事なので過度な期待は厳禁なんだけど(その距離感をミスって自爆している人がまわりにゴロゴロいるので逆に怖い)うっすら伝わるレベルで相手のことを尊重していないのはさすがにご法度なんじゃねえの?と最近考えている。潔癖すぎなのだろうか。自分で自分の首を絞めてるのだろうか。それとも環境が悪すぎるのか?

もちろん人によるし一概には言えないけど、仕事相手のことを最低限でも尊重できなかったり下に見ているのがわかる人間は、家族の悪口も職場でベラベラしゃべる率が高いのでげんなりする。だいたい奥さんの悪口。わたしが女だから余計に気になっちゃうんだろうか。日に日に愚痴っぽくなっている自分が嫌いなので、ここで吐き出して一旦打ち止めとしたい。

つくづく他人に興味がありまくるせいで生きづらい。共感しすぎるのってキツい。

一方でポジティブなことも、少しずつではあるものの芽を出しつつある。ジジイに摘まれないようにこっそり育てながら、虎視眈々と脱獄のチャンスを伺う。

自分のことを大切にしてくれる人を大切にしたい。ちょっとずつ無理が効かない心身になりつつあるので余計にそう思う。

 

家に帰って『リコリス・リコイル』を観始める。すげえおもしろい。明日も観られるようにサクッと帰ってこようと心に決める。

眠剤を飲んだ。だんだん眠くなってきた。本を読みつつ寝る。

日に日に骨に近くなる

先日、スペースでしゃべっているときに何かの流れで中学時代の話になった。

世の中の中学校の窓ガラスはすべからく割れているものだと思っていたけど、どうやらそうでもないらしい。わたしが通っていた中学がすこぶる荒れていたという事実を、卒業してずいぶん経ってから実感することとなった。

スペースでは基本的に最近触れたカルチャーの話をしているけど、ふとした瞬間に身の上話になるのもまた楽しい。『おいしいごはんが食べられますように』は、特に人の身の上話を容赦なくズルズル引き出すような作品だ、と読んだあとだからこそ思う。

 

荒れていたのはまぁさておき、未だに覚えているのは名前も知らず顔もはじめて見た女テニの1つ上の先輩と駐輪場ですれ違ったとき「おい、挨拶しろよ」と理不尽にブチギレられたことだ。わたしは女テニ所属ではなかったのでひたすらにびっくりし、身をすくめながら黙ってその場を通り過ぎることしかできなかった。後ろから「無視してんじゃねえよ」という声が追いかけてきてさらに震え上がったのをいまでも覚えている。

いま同じことをされたとて小鳥のさえずり程度にしか思わないが、当時のわたしにとっては超ド級の大事件であった。田舎の中学の女テニ所属の人ってなんであんなに態度がデカいんですか?(ド偏見、元女テニ所属の方すみません)

昔よりは強くなったし、ずいぶん遠くにきたもんだ。いろんな人間にいろんなことを言われて、たまに言い返してきて、ここまで辿り着いた。

子どもの時に受ける理不尽もつらいが、大人になってから受ける理不尽もまた別ベクトルのつらさがあり、それが絶え間なく続くとブチギレるか病んでブッ壊れるか音もなくフェードアウトするかの3択だと思う。

そういう人をたくさん見てきたし、いまも見てるし、自分もいつかその3択を選ぶときがくる。音もなくフェードアウトする準備を少しずつはじめている。

フェードアウトと同時に、せめて自分が手の届く範囲だけはきちんと整備して、みんなが気持ちよく過ごせる空間づくりもしようとしている。

 

お風呂の中で高瀬隼子『犬のかたちをしているもの』を半分くらいまで読み、嗚咽と呻きの中間くらいの声が出た。

わたしがいままでごく親しい人にだけひっそり話していた感情がほぼそのまま言葉になって紙の上に載っていた。今後も大っぴらに話す気がないからこそ、忘れられない一節になった。

眠剤を飲んで寝る。

 

損と嘘、躁と鬱

本当に言いたいことなんてインスタの質問フォームの文字数の中に収まるはずもなく、推敲の余地すらもなかったので静かにアプリを閉じた。

 

仕事中、いろんなことに怒っている。好き、というか、別に本心から好きでなくてもいいから、なにかしら1つだけでもいいから肯定できるような場所にいたい。

そうでないと少しずつ自分の身体が削れていってしまうように思うのは潔癖なのか、まだ社会に希望を抱いてしまっているのか。

自分の手の届く範囲の人だけでも気持ちよく仕事をしてもらおう、と思って最近は生きてる。それ以上手を伸ばすことは今のわたしにはできない。今できる精一杯がこれ。

出張中の新幹線の中で『おいしいごはんが食べられますように』を読みきって、生まれてこのかた出会ったことがない感情に包まれてしばらく呆然とした。ふと顔をあげたらいつの間にか新大阪に着いていた。

読んで気づく、鍋の中にぼんやりと影があるような表紙のイラストの見事さよ。いま読むの正直めちゃしんどかったし抉られたけど、いま読んでよかったなーとも思う。とてもいい意味で、吹っ切れた。

きょうは躁っぽい。安定剤を飲んで寝る。

それにしても倉橋ヨエコ『損と嘘』の『まるであなたの罵声は薔薇色の愛の歌』ってとんでもねえ歌詞だよな、と改めて思う。

語呂とか、発語したときのリズムの気持ちよさまで含めて完璧。